人形の佳月 京の雅を取り揃えて

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人形の町岩槻で、京の雅な逸品をそろえて

古都・京都の歴史の中で、守り伝え磨き抜かれた一流の技と美の結晶、京雛、京甲冑。
人形の佳月は、この伝統ある京を代表する雛人形作家、 甲冑作家の作品を中心にお届けしています。
お子様の健やかな成長を願い見守る雛人形や五月人形を、 落ち着いた店内でごゆっくりお選びください。

京雛  ~佳月の雛人形、京雛についての豆知識~
匠とは、日本の心を映す技。守りたい美しい日本の精神美

真の美しさとは、目で感じるものではありません。心が震え、こみあげてくる心の鼓動。「本物の美」に出逢った瞬間、感じているのは私たちの心です。
佳月の雛人形は、真の美しさにこだわりました。染、織、装束、気品あふれるお顔・・・そのすべてが雅やかな宮廷絵巻を再現する日本の美意識そのものです。
雛人形の節句の起源とされる平安時代は、食べ物、衣服、住環境も現代とは違い、健康を保ち長生きすることはとても大変なことでした。 そんな時代でもわが子の健やかな成長と幸福を願う親心は、いまと少しも変わらなかったことでしょう。
数千年のときを経てなお、新鮮な輝きを放つ伝統の色彩と文様には、時空を超えた、子を想う家族の愛情が秘められています。雛人形と節句は、日本人が忘れてはならない心の文化、やさしい愛情そのものです。

日本の「色」に魅せられる

今日、雛人形の衣裳に日本伝統の草木染が使われることは、ごくわずか。しかし佳月は、草木染にこだわり続けます。そこには、心の原点があると信じるからです。
たとえば十二単に用いられる「茜染め」は万葉集にも詠まれ、日出づる国の色、怪我から身を守る光の色として貴ばれてきました。 また「蓬(よもぎ)」で染められた着物の多くは、肌に近い部分に着用するものとされました。
それは蓬の殺菌成分を活かし、身を清潔に保つため。医療や薬も十分でなかった時代の知恵。薬を飲む意味の「服用する」は、身につけることから生まれたと言われています。
草木染はその美しさの中に健康と長寿への祈りを秘めた、心の原点の色彩なのです。

時空を超え「文様」の世界にふれる

文様と模様は違うもの。どんな図柄や文字も模様と言うのに対し、文様にはすべていわれがあります。
「古今」「万葉」「伊勢物語」「四書五経」などを紐解けば、詩歌や物語の場面、主人公の衣服などにその意味があることがわかってきます。たとえば日本の代表的な文様の一つ「松竹梅」。 そこには人生につきものの苦難を乗り越えるには、松竹梅にたとえられる三人の友を持ちなさいという、教えが込められています。
松のように常に凛とした友、竹のように実直で柔軟な友、梅のように冬の寒さに耐え明るい花を咲かせる友。
いまに受け継がれる文様の一つ一つが、永く遥かな時空を超えて、普遍の美しさと価値を私たちに語りかけます。

京雛

雛人形の本流をたどるとき、京都はその発祥の地として常に最高峰を極め続けてきました。 「京雛」は千二百年という古都の歴史の中で、守り伝え、磨きぬかれてきた一流の技と美の結晶。
そこには、京を代表する雛人形作家をはじめ多くの工芸作家の幾世代にもわたる人形への愛情、製作への熱意が息づいています。
「京雛」の製作数は決して多くはなく、それゆえにその希少さは大変に価値のあるものです。悠久のときを超え、受け継がれる本物の格調美、それが京雛の世界なのです。

京雛の飾り方

京雛は、向かって右側にお殿様が飾られます。
日本では、古来から左のほうが右より格が高いとされており、京都御所の玉座の位置も左側つまり向かって右側になっています。
御所は南側を向いており、お日様が昇る東の方角が上座とされています。
現在の一般的な雛人形の飾り方は、 西洋の文化が入ってきたのち大正天皇が即位の礼で西洋スタイルで立たれてからこの習慣が始まりました。

京雛はいにしえ三大雛の一つ

宮中の子女の玩具から、武家や一般にまで広まった江戸時代、雛人形には一つの取り決めができました。
それは、京都、大阪、江戸でしかつくってはいけないというもので、この三都市で雛の市が立ちました。 三大雛のひとつとして、京都でつくられる気品と雅びが息づく雛人形は「京雛」と呼ばれるようになりました。

現存する最古とされる寛永雛

京都の華やかな宮廷文化を生んだ寛永時代の京雛「寛永雛」は、現存する最古の内裏様とされています。
束帯姿で面長な古典的気品のある顔立ちは、いまの京雛の源流とも言えるでしょう。 これまでの立ち雛から造形的に進化し、立体的な坐像になったところに、この時代の京雛に観賞工芸的な価値が生まれたことをうかがわせます。
この後につくられる「元禄雛」は、寛永雛の流れをくんだ雅びやかな京雛の面影を残しながらも、さらに技巧がくわえられるようになりました。 人形師が匠の技と美意識を競いあった京雛は、このように育まれていったのです。

宮廷装束を再現した有職雛

宮中で遊ばれた雛人形は、装束師がつくった着物を人型に着せて遊ぶ、いわば着せ替え人形のようなもの。
このため衣装の雅びやかさは大切なものでした。古来の宮中装束を有職故実にもとづいて、正しく調べ再現したのが有職雛です。 格調高い装束に合わせてお顔も気品高く、製作も入念で、公家の風俗が忠実に表されているのが特徴です。
現在の京雛はこの有職雛の流れをくんでおり、男雛の衣冠束帯、女雛の十二単など宮中で使われていた色、織り、柄にも細やかに配慮しています。

京雛の人気を広めた天才雛師

京都でも超一流の技を誇っていた雛師・雛屋次郎左衛門。丸顔、切れ長の目、小さな鼻と口が特徴で、いまでも次郎左衛門雛として残っています。
天才と讃えられたこの雛師が江戸へ移り住むと、斬新で精緻な人形だとたちまち江戸で大人気に。これが京雛を広めるきっかけになったとも言われています。

至高の技と個性の競演、京都が、日本が誇る雛人形作家

典雅な世界をかもしだす京雛は、その四千年余りにもおよぶ工程のすべてが手作りです。 人形の顔、頭の髪付け、手足、小道具、衣裳、着付けなど作業はすべて分業で行われます。
それぞれの雛師の家に代々伝わった手法を現代に引き継ぎ、手間や材料にこだわって丁寧につくりあげられる雛人形。 匠の技と伝統に裏打ちされた個性が光る一点一点は、商品というより、もはや作品なのです。